gzmlhzmkwq7w3の日記

 自分の趣味とか雑感その他を、気が向いた時に書き連ねる予定です。【2023/12/20追記:昨今の問題について筆者のスタンスを書きましたので、ブログトップに表示しています。】

雪組東京宝塚劇場公演の千秋楽ライブ配信を見たので今更ながら感想を書きたい

 2021年4月11日に行われた、宝塚歌劇団雪組公演「fff ―フォルティッシッシモ―」「シルクロード」の東京千秋楽。
 形式名つながりでショーを紹介する空想配役記事を書いた身としては、この公演を見逃すわけにはいきません。しかし諸般の事情により観劇どころか宝塚千秋楽のライブ配信も断念。結果的に、公演解説ページの人物相関図とキャトルレーヴオンラインで購入した公演プログラムに大まかに目を通した状態で挑むことにしました。
 そんなわけで、Rakuten TVでの千秋楽のライブ配信を見た感想を思いのままに書いていきます。作品の内容の表層をさらって勝手に深読みしたような感想の割合が高いと思います。記憶違いも多々あると思いますのでご注意ください。

 

 

  いきなり終盤の話をするのは申し訳ないのですが、ルートヴィヒ(演:望海風斗さん)と謎の女(演:真彩希帆さん)がピアノに向かいながら交響曲を作り上げる場面で、「このコンビが2人で何かを作り上げる関係が見たかったんだ」とハッとしました。どちらかが憎悪の感情を抱いていたり、思い合っているのに長い間離れ離れになったり破局を迎えたり、な関係のお芝居の印象が強かったんです。熱烈な恋愛物や喜劇といえる作品はほとんどなかったかもしれないけれど、最後の最後に「数百年後の世界にも響き渡る音楽を共に作り上げる」という壮大な関係性に着地したのは望海さんと真彩さんのコンビだからだと感じました。そしてこの2人が中心にいた雪組だからこそ、運命のうねりに翻弄されたあらゆる人々が手を取り合って歌うエンディングに心をぐっと掴まれた気がします。
 後から気付いたのですが、劇中で完成させた交響曲は、このコンビの大劇場お披露目公演のレビュー「SUPER VOYAGER!―希望の海へ―」で歌われていた『希望の歌~交響曲第九番~』(原曲:藤澤ノリマサさん)のモチーフとなりました。演出の上田久美子先生はその点まで考えてこのお芝居を作ったのか……非常に気になります。あとシトワイヤンの衣装に掛かっているトリコロールでどうしてもお披露目公演の芝居「ひかりふる路」が思い出されました。

 無人のオーケストラピットから楽団の男女たちがたくさん飛び出してくる演出は、初見で度肝を抜かれました。舞台の使い方でいうと、天上界からルートヴィヒの人生を追いかけるヘンデルモーツァルトテレマンの3人組(演:真那春人さん、彩みちるさん、縣千さん)が、立像になったり額縁に収まったりしながら場に溶け込んでいたところも印象深いです。
 野外コンサートの場面に二重の意味でコンダクターっぽくていいなあと思ったかたがいたのですが、誰だか思い出せません。紺色の服を着ていた気がしたのですが、ステージフォトだけでは判別できず。服の色が記憶違いだとすればルドルフ大公(演:綾凰華さん)でしょうか。あと、「これ以上散らかすのはやめてー」と言っていたルートヴィヒの家政婦が別の場面でナポレオンの妻である皇后・ジョセフィーヌを演じていたのは一体どこから来た発想なんでしょう。杏野このみさん、お芝居では何だか気になる存在でした。
 大道具の焚火に「神々の土地」(2017年、宙組)を感じながら見ていた雪原の場面、ルートヴィヒとナポレオン(演:彩風咲奈さん)のやり取りの「立派に?」のあたりで、どちらも髪や後頭部で目が隠れているのに両者がしっかりつながっている感じがあったの好きでしたね(説明が下手)。銀橋の端と端で互いに呼び合うのもいいなあと思いました。
 小さな炎(演:笙乃茅桜さん)の美しい躍動感と表情が好きで、この公演を以て笙乃さんが退団されたなんて……という気持ちです。人間ではない役といえば黒炎(演:華蓮エミリさん、沙羅アンナさん)が『若きウェルテルの悩み』の舞台だけでなくロールヘン(演:朝月希和さん)の弔問客として存在していたことに気付いた時ぞわぞわっとしました。謎の女の「皆のところに居たわ」という台詞で、物故者や実在しない人物の周りにまで運命とその使者は存在しているみたいに思えました。
 あと最後の場面、『あなたも私も許し合えるだろう』でルートヴィヒの父・ヨハン(演:奏乃はるとさん)とメッテルニヒ(演:煌羽レオさん)が大写しになったのはそういうことだなあと。煌羽さんのすっきりとクールな佇まいとお芝居が格好良かったのですが、あなたもまた退団者なのですね……。

 

 今の雪組メンバーで形にしないと後悔しそうなアイデアを、生田大和先生の性癖詰め込みスペシャルな構成で作られたショーだと感じました。いや、それが良い悪いと思っている訳ではないのですが、観ていると先生の性癖の影がどうしてもちらついて。これまでお芝居を書いていた先生が初めて手掛けた、なおかつ退団公演のショー作品としては、この詰め込み具合は個人的にはありだったと思います。「ひかりふる路」で始まり「シルクロード」で終わるのが、なるほどなという感じでした。

 大きな砂時計のセット、風の音、舞う砂たち、キャラバン隊。『涯てなく続く 砂 砂 砂』という彩凪翔さんの歌から始まり、スターたちが次々に登場するプロローグ。楽器の第1音で作品の世界観が一発で分かる音楽が好きです。ブランコに乗って登場する真彩さんの衣装の色合いが明るすぎないシックな青で素敵でした。朝美さんが銀橋を渡った後あたりで大写しになったリフトが豪快だったのですが、誰と誰だったのでしょう。
 彩風さんと朝月さんの場面、『はるか花の園で生まれた君へ』って花組出身の朝月さんへの公開告白じゃんと思いながら観ていました。この2人がシティハンター……?(先行画像が出ても未だに信じられない筆者)。
 朝美絢さんのシャフリヤール、真彩さんのシェヘラザード(宝石)、望海さんの黄金の奴隷による三角関係。何というかお腹の出ている衣装を見るとテンション上がります。望海さんと真彩さんのダンスの振付が鎖も活用したサディスティックなもので印象的でした。この場面で「fff」の時みたいなみょーんという音が聞こえて気になったのですが、筆者のイヤホンの問題?
 ロケット衣装の組子たちが出てきて歌った後の中詰。ロケットといえばフィナーレ周辺のイメージがあったのですが、最近はプロローグ(主に野口幸作先生)や中詰にロケットを組み込むショーが増えてきた気がします。彩風さんの背中を斜めに貫く羽根が大きいなあと思っていたら、望海さんがもっと大きな羽根を付けてきて本当に飛べそうだなあと思いました。
「大世界(ダスカ)」の場面は彩風さんの脚の長さと腰の高さが際立つ衣装で、トップスターになっても1~2回は着て欲しいと思いながら観ていました。真彩さんのラップ含みの歌唱はチャーミングであり魔性であり、低音も磨かれていて本当に聞き惚れます。望海さんと真彩さんと彩風さんの3人によるタンゴがだんだん破綻に向かっていくなかで、望海さんと彩風さんの組み合わせって結構好きだなと感じました。
 そして銃声から争いのコロスの場面に向かう訳ですが、まさか宝石が実際に目隠しして出てくるとは思わないじゃないですか。背後のセットは樹木でしょうか?ここで初めて(?)このショーで人間ではない生命体のモチーフが登場した気がして、砂と風に導かれたシルクロードの旅はここで一旦終わりなのだと感じました。まあ、次の場面でキャラバン達がもう一度登場しましたが。彩凪さんが舞台で見せる眉と目を近づけた時の表情は筆者の思い描く麗人そのものだったので、宝塚歌劇の舞台でもう観られなくなるのが勿体ないなあと思います。

 青い薔薇を持った望海さんと淑女たちのダンスは、音楽が徐々にドラマチックになっていくのが素敵でした。黒燕尾の紳士たちによる群舞は、望海さんと彩風さんをしゃがんで見つめる紳士たちの瞳がそれぞれに綺麗でじーんと来ました。そのあとに登場した真彩さんを出迎える朝美さん、彩凪さん、彩風さんの瞳もまた優しい。
 ここからデュエットダンスなのですが、ボルテージの上がり過ぎた筆者は楽曲が『時には昔の話を』だったことに全く気付きませんでした。名曲です。千秋楽恒例で退団者の衣装についているお花、真彩さんはお団子キャップに付いていたんですね。あと宝塚GRAPHのコーナー「THE COSTUME」に掲載されているものと違ったので自信がないのですが、ひょっとしてお団子キャップの右側頭部に望海さんのイニシャルの「N」が入っていましたか?デュエットダンス後のお辞儀で感極まるトップコンビにこちらもじわっと来ました。
 パレードは、幕開けを告げるエトワールの有栖妃華さんが良い歌声でした。キャラバン隊でも目立っていましたし、今後が楽しみなかたです。最後の歌詞が『共に征こう』で、考えさせられました(後述)。

 サヨナラショーやご挨拶まで触れたかったのですが、そろそろ筆者のキャパオーバーです。煌羽さんのお腹が美しかったことと、第三倉庫に8時半のヌードルスと、大階段を見つめた後コンビで歌う『Home』の説得力が半端なかったことを書き残しておきます。

 

 2002年から2003年にかけて星組で上演された「バビロン~浮遊する摩天楼~」と2021年に雪組で上演された「シルクロード~盗賊と宝石~」。作者は違えど形式名は同じ、ただし両者の指向は真逆だったと筆者は考えています。

 いくつか挙げてみます。第一に、時間軸以外が動くか否か。タイトル通り古代都市バビロンの過去と未来を往来する(と筆者は解釈している)「バビロン」と、タイトル通り交易路沿いの具体的な国名を章題に提示して巡る「シルクロード」では、後者が場所の移動を伴っています。
 なお「シルクロード」に限ったことではなく決して批判・擁護したい訳ではないのですが、世界巡りという宝塚歌劇のショーに登場する題材を兼ねている分、果たしてそれぞれの国と地域の文化に対する深い理解をふまえて描写されているのか、そうした描写は歴史的経緯の上でも許容されるのか、は今後の舞台においても気になるところではあります。過去に海外の有名人が自ら立ち上げた矯正下着のブランドに「kimono」と名付け商標登録をしようとして物議をかもしたことを思い出し、何となくオーケーだと考えていることほど見直そうという気持ちになりにくく見逃しているのかもしれない、と省みる気持ちが生じました。要素の再構成でどこか架空の場所のことのように思える「バビロン」についても、「これは違う」と言われればそうだろうと思います。自らの見識の外にあるものに関心を持って常に勉強していかねばならないなと。

 第二に衣装の煌びやかさをどこに注力するか。意外と全体的にカラフルにキラキラしていた「シルクロード」に対し、多種多様な金色の衣装を第八景「古代幻想(祝祭)~マルティグラ」に全力投入した「バビロン」。また、どちらにも娘役が扮し人間を惑わす砂の役が登場するのですが、「砂」(シルクロード)は光る石の装飾が付いた色違いのない衣装で髪型や表情は豊かな一方、「砂嵐の女」(バビロン)は光る装飾がない数パターンのくすんだ砂の色の衣装で無表情でした。ただ、プロローグに登場しスチール写真にもなる「砂」がそれぞれに趣向を凝らした個性豊かな仕上がりになるのはある意味当然であり、単純比較はフェアではないのですが。

 第三に、明確な引継ぎ演出の有無。どちらもトップコンビ退団公演でありながら、「バビロン」の場合は後任が2人とも落下傘就任のため組内にいなかった分、別れという概念に強く焦点が当てられていたように思います。「シルクロード」は後任どうしで組む場面が複数あるだけでなく、継承を意識した演出がありました。

 ずっと考えていたのですが、両者のスタンスの違いは副題の場面で最大級に現れている気がしてなりません。
「バビロン」の副題は、第三景の「空中庭園2(浮遊する摩天楼)」から。純粋無垢な白い鳩が舞い踊り、いつかの人間を断罪する黒い鳩。残されるのは喪失の痛み。
シルクロード」の副題は、第六章の「盗賊と宝石」から。暗闇を生み出した宝石の絶望に触れ、共に最後の旅へ踏み出す盗賊。残されるのは夢の続き。
フィナーレを『再び出会えるその日まで』で締める「バビロン」と『共に征こう』で締める「シルクロード」の対照性は、夢舞台を旅立つ人々、残される人々そして見守る人々のそれぞれに作者が託したものの違いが生み出したのではないかと思います。

 より深い考察をするにはもう1つのレビュー・アラベスク「タランテラ!」(2006年、雪組)を観なければいけない気がしていますが、筆者の周辺が落ち着いてからになりそうです。

 

 思考のまとまらないままに書いたので、特に最後のほうがただの自問自答のようになってしまいました。冷静に読むと意味が分かりません。

 前々から書いている通り次に観に行くのは月組大劇場公演と決めているので、どうか見届けたいです。